これまでのアメリカ移住生活17年の振り返り

アメリカ移住

早いもので2008年にアメリカに母子教育移住をしてから17年が経ちました。当時4歳10ヶ月だった長男、そして、まだ1歳8ヶ月であった次男も今ではアメリカの大学生です。二人共気がつけば身長180cm以上の大男になりました(157cmの私にとっては見上げる背丈)。

私も夫も日本の大学を卒業後外資系企業で働き始めました。自分の意見を上手に英語で表現することの難しさ(奥の深さ)を感じながら働く職場を経験し、「子供達には英語教育を受けさせたい」と思うようになりました。自分の意見を持ち、それを的確に英語で表現出来る大人に育てたい、と思ったのです。

最初に移住先として考えたのは、程良く日本から近く日本人に人気のハワイでした。アメリカへの移住もアメリカ本土に比べるとハードルが低めです。ハーフのお子さんが西町インターナショナル・スクールに通う友人からハワイの人気私立小学校を勧められ、当初は私立受験などは考えていなかったのですが、調べていくうちにその私立小学校の魅力に惹かれていきました。「今年受験をさせないと、年齢的に次の受験チャンスは7年後?!」という状況が分かり、「今行こう!」と急遽学生ビザを取得し夫より一足先に子供達とハワイに渡ることとなりました。

当初の予定では夫も後から移住をするはずだったのですが、「Life is full of surprise! ケ・セラ・セラ」です。リーマンショックという経済環境の大きな変化があり、その後結局母子だけの移住生活が17年間続くことになるとはその時考えもしませんでした。これまで17年間アメリカに滞在している間に滞在ビザの種類が何度か変わりましたので、ここではその順に従い、ごく簡単にこれまでの流れを振り返ってみたいと思います。

F1ビザ(学生)時代
子供達の預け先を探すのが大変でした。全く英語が出来ない長男を受け入れてくれ、且つ、受験にも向いた幼稚園を探さなくてはなりません。日本同様私立小学校受験に強い幼稚園がハワイにもいくつかあるのです。幼稚園にも受験がありますが、私達が移住した6月には受験も終わっています。6月はサマースクールが始まるタイミングでしたので、先ずは、幾つもの幼稚園に電話問い合わせをし、サマースクールへ入れて貰えるようお願いしました。地図を見ながら(当時はナビがありませんでした)慣れない運転であちらこちらの幼稚園に行き、園長先生に面接をお願いしてまわりました。面接までこじつけても、英語が全く出来ない長男なので、なかなかすんなりと受け入れてくれる幼稚園は見つかりませんでした。そんな中、賃貸物件探しでお世話になった不動産エージェントさんにお孫さんが通う幼稚園を紹介して頂き、偶然同じようにあまり英語が出来ない日本人の男の生徒さんを受け入れたご経験がある先生が、長男の受け入れを承諾して下さることになりました。そして水があったのでしょう。長男はサマースクールで毎日元気良く遊び、先生に「リーダーシップがある」とまで言われ、なんと9月以降の新学期からも生徒として通えることになりました。東京の幼稚園では少し大人し過ぎる心配をしていたのがまるで嘘のようでした。

1歳8ヶ月の次男はまだオムツが取れていない状況でしたので、受け入れてくれる保育園を探すのが大変でした。オムツが取れた時点で受け入れます、という保育園が結構あるのです。最初は長男の幼稚園とは反対方向のダウンタウンの保育園にお世話になりました。途中から長男の幼稚園により近いカイムキの保育園に移れたのですが、カイムキの保育園では帰宅後大量にミルクを吐くということがあった為少々不安になり、最終的に落ち着いたのは長男の幼稚園に新設された保育園でした。タイミング良く新設され、その時にはオムツが丁度取れたので預けることが出来ました。ラッキーだったと思います。

H-1Bビザ(マーケティング・ディレクター、不動産エージェント)時代
長男の幼稚園で出会ったオーストラリア人女社長が経営する不動産会社で、日本人の顧客向けマーケティングの仕事を始めました。急遽超短期間で不動産エージェントの資格(宅建)を取得し、一からマーケティング戦略を展開しました。日本人顧客との取引実績がない会社でしたが、徐々に一般の方々から芸能人、プライベートジェットで現れたSEGAエンタープライズ創始者の方や、一代でご自身の会社を一部上場企業にまで成長させられた経営者の方などの売買取引を手伝わせて頂きました。お客様との出会いは貴重でしたが、シングルママ状態だったので、子供がインフルエンザで熱を出している時でも子供を家に置いたままお客様対応をしなくてはならないといった時は、正直後ろ髪がひかれ辛かったです。

E2ビザ(サロン経営)時代
サロンを経営していました。素敵なスタッフとの出会いはハワイでの大切な良き思い出ですが、スタッフ間での喧嘩が勃発してしまった時は少々大変でした。私はまだ不動産エージェントも続けていたので(二足の草鞋状態)、問題となった現場を実際に見ていた訳ではなく(両者の言い分が違う)、アメリカでの雇用問題の対応は難しいなと感じました。育ちや人種も違ければ、考え方もいろいろ。アメリカ人の方は「訴える」とまで口走っていたそうです。怒りに任せて口から出た言葉のようでしたが、「実際に訴えることによりお金が貰えればラッキー」と考える人もいるのがアメリカだと弁護士の先生から聞きました。問題なく落ち着きましたが、その後徐々に日本人スタッフを中心にし、顧客ターゲットも日本人観光客及び在住の日本人へと転換していきました。

EB-5(グリーンカード)時代
晴れて永住権を取得出来たので、サロンは売却しアメリカ本土西海岸に引越しをしました。夏休みに、西海岸で開催されるサッカーキャンプに子供達が参加するに際し約1ヶ月のプチ移住を試みたところ、子供達が西海岸を気にいってしまったのです。サッカーのレベルの高さに惹かれたそうです。特に次男は実力主義ではなかったハワイのチーム環境に不満があったのです。長男は既に7年間学校生活を共にした仲間達がハワイにいたので、かなり心が揺れ動き迷ったようですが、、、それからの8年間を振り返ってみると、長男も次男も西海岸に移住をして良かったと言えると思います。家族全員後悔はないようです。
(実際にはかなり悩みました。理由がサッカーだけとは言えないので、又いずれか書きます。)

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